52 ◆AoH6mbCY.w 2010/11/07(日) 22:44:37.96 ID:asUpMEG70

 朝の知らせを告げたのは、目覚まし時計でもなければ鶏でもない。
もはや騒音と言っても過言ではないくらいの蝉の鳴き声だった。

(∩;"ゞ)「……耳が痛い」

 開け放たれた窓から響く蝉の大合唱。
昨晩の夜は暑く、窓を開けたまま寝てしまった事を思い出した。

 客室用の部屋にはクーラーはあるけれど、窓を開ければそれほど暑くなかったのだ。
部屋に滑り込んで来る夜風がとても心地よくて、そのまま眠ってしまっていた。

 布団を頭から被るが、それでも蝉は鳴き続ける。
みんみん、という鳴き声が次第に別の何かにも聞こえて来た。

(;"ゞ)「……起きるか」

 手元に置いてある携帯を開くと、時間は六時。
しぃさんの朝食が出来るのは七時くらい。後一時間は眠る事が出来る。

しかしこうも五月蝿くては寝れるものも眠れない。
夏の風物詩でもある蝉に、今日ばかりは恨みを感じた。

6 ◆AoH6mbCY.w 2010/11/07(日) 22:06:27.34 ID:asUpMEG70

 布団から出て、蝉の声を遮断するために窓を閉める。
ガラス一枚越しでも響く蝉の声に、盛大な溜め息を吐いた。

 せっかく布団から出たのだ、そのまま着替えてしまおう。
そう思い、寝間着から着替える為、上着を脱ぐ。
流石に外の風だけでは暑さから逃れられず、上半身裸になると身体がとても冷たく感じた。

腹の部分に触れてみると、汗をかいた後がうっすらと残っている。
ほんの少し不快感を感じたが気にするほどの物でもない。
鞄の中に入れていた沢山の着替えの中から、目についた服を引っ張り出して着た。

 布団を畳み、汗を含んだ服をまとめて洗濯籠へ入れるため部屋を出る。
しぃさんやギコさんは遠慮しないでと言っていたけれど、それでも自分の物は自分でやらないといけない。

 二階廊下の奥にある小さなスペース。
そこにはお客さんが共同で使っているであろう洗濯機や乾燥機が置かれている。

 今洗えば朝食を食べて暫く経てば終わるだろう。
備え付けの洗剤を少し入れて洗濯機を回し、欠伸を噛み締めた。

 朝食までにはまだ時間に余裕がある。
しぃさんの手伝いをしよう思い、僕はその足で階段を下りて行った。

8 ◆AoH6mbCY.w 2010/11/07(日) 22:08:08.67 ID:asUpMEG70




第三話
住めば都_





53 ◆AoH6mbCY.w 2010/11/07(日) 22:45:25.29 ID:asUpMEG70

 広い居間に二人で食べるのは寂しい物がある。
けれどしぃさんの快活な笑顔と元気な声はぽっかりと空いた寂しさを埋めてくれた。
誰かと朝ご飯を食べるのは久しぶり。嬉しそうに言うしぃさんに僕は感嘆の言葉を漏らした。

(*゚ー゚)「あの人、朝早いからどうしても顔を合わさない事が多いの」

 漁師の朝は早いと聞く。
しぃさんがギコさんの分の朝食を用意している頃には、ギコさんはもう出て行ってしまうそうだ。
何度かその事で喧嘩になった事が、最初のころ頻繁にあったそうだ。

朝食は大事だというしぃさんに対して、ギコさんは気にしないで眠っていて欲しいと言う。
しぃさんの心遣いに対して、ギコさんもまたしぃさんに心遣いをしてあげていたのだ。

(*゚ー゚)「朝はちゃんと食べないとって言うんだけどね。ちっとも聞いてくれないの」

 笑いながら言うしぃさんの横顔は、何だか少し寂しそうに見える。
僕は何て言葉を掛けてあげたら良いのか分からず、何も言わずに頷いていた。

(*゚ー゚)「ごめんね、朝からこんな話しちゃって」

( "ゞ)「大丈夫ですよ。でも今日はギコさん、ご飯食べて行ったんですね」

 僕の隣にある、半分だけ残されたご飯とみそ汁。
しぃさんでも僕の物でもないそれは、きっとギコさんの物なんだろう。

(*゚ー゚)「そうなの。いつもギリギリまで寝ていたのに今日は早く起きて来てね。
     時間があるからって食べていたんだけど、テレビに夢中になって結局全部食べられなかったのよ」

( "ゞ)「それじゃあ、毎日早く起きればご飯食べれるんじゃないですか?」

13 ◆AoH6mbCY.w 2010/11/07(日) 22:10:16.51 ID:asUpMEG70

(*゚ー゚)「あら本当。そういえばギコ君、いつも遅刻する直前まで寝ていたわ」

 二人顔を見合わせて笑いながら、今はここにいないギコさんの話をする。

 しぃさんの話の節々には、ギコさんへの愛そのものが感じられる。
それだけでなく、聞いているこちらまでも朗らかな気分にさせるような話し方をしぃさんはする。

恋愛話となると、大抵惚気に発展して聞き手側はつまらないと感じてしまう事がある。
けれどしぃさんの話は聞いていてそう感じる事はなかった。

 そういえばギコさんがしぃさんの話をするときもつまらないと感じる事はなかった。
どちらかというとギコさんの場合は、一人で話して一人で完結させるような話だったけれど。
それでも、しぃさんへ愛を確かに感じさせるような言葉だった。

 相手を愛している自分が愛おしいと感じない、自己満足のない愛。
ただ純粋に相手を愛しているような、そんな印象を一番に受けた。

16 >>14 違和感あると思ったら今気付いた。以降デルタ目修正 2010/11/07(日) 22:13:32.94 ID:asUpMEG70

 朝食を終えると、僕はしぃさんの手伝いをする為流し台の隣に立ち、洗い終えた食器を拭いていた。
座っていてというしぃさんの言葉に首を横に振り、手伝わせてくださいと言ったのだ。
僕の隣で食器を洗うしぃさんは僕を見て、悪いなぁと呟いている。

(*゚ー゚)「何だか手伝ってもらってばっかりでごめんね」

( "ゞ)「そんなことないですよ。
    僕からしたら、ギコさんとしぃさんのお世話になりっぱなしで申し訳ないです」

(*゚ー゚)「何言ってるの、困ったときはお互い様じゃない」

 そう言いながら笑うしぃさんは、やっぱりギコさんと似ている元気な笑みだった。

18 >>14 違和感あると思ったら今気付いた。以降デルタ目修正 2010/11/07(日) 22:14:42.12 ID:asUpMEG70

 朝食を終えると後は特別する事もない。
洗濯物は洗濯機が動いていてまだ干せない。
洗濯が終わるまでの間する事がなくなってしまった。

 手持ち無沙汰にぼうっとしていると、視界に風鈴の影が見えた。
ゆらゆらと風に揺れる風鈴を眺めながら、今日は何をしようかと考えていた。

 後方から慌ただしいしぃさんの足音がする。
そういえば昨日の夜、町内会へ行かないと、と言っていたような気がする。
町内会と言ってもただの井戸端会議よ。なんてしぃさんは最後に付け加えていたのを思い出した。

 暫くすると足音がこちらにやってくるのが聞こえた。
振り向くと、見知ったしぃさんのエプロン姿はなく、白のTシャツにジーパンを履いていた。

(*゚ー゚)「私今から出掛けるけど、デルタ君どうする?」

( "ゞ)「あー……どうしましょう」

19 ◆AoH6mbCY.w 2010/11/07(日) 22:15:38.72 ID:asUpMEG70

 ここ一帯の道はある程度見て歩いていた。
もう少し遠くへ行こうと思うも、道がわからないから行くにも躊躇ってしまう。
答えを渋る僕を見て、しぃさんは家から西の方角、商店街の方を指差した。

(*゚ー゚)「商店街を少し過ぎた所に図書館があるの。
     もし何もする事がなかったら行ってみてもいいかも」

 しぃさんにも僕の事は話している。だから図書館へ行く事を勧めたんだろう。
特別行きたい場所も決まっていないし、商店街へは昨日しぃさんと買い出しに行く時に通ったから道もわかる。
行ってみようかな。確定ではないが今日の予定が一つ追加された。

( "ゞ)「ありがとうございます、暫くしたら行ってみます」

(*゚ー゚)「いいのよ。お昼はおにぎり作ってるから食べて。それじゃあ、行ってきます」

21 ◆AoH6mbCY.w 2010/11/07(日) 22:16:20.42 ID:asUpMEG70

 出掛ける時に、とスペアの鍵をしぃさんから受け取ると僕は玄関まで出てしぃさんを見送った。
しぃさんの後ろ姿を見届けると、僕は鈍った身体を伸ばして二階へと昇った。

 洗濯は既に終わっていて、蓋を開けると脱水しきった洋服達がねじれた姿で僕を迎えた。
服を叩いて皺を伸ばし、ベランダの物干竿で洗った洋服を干した。

( "ゞ)「……」

 ベランダから見える景色を眺める。
青い空には少量の雲。辺りは緑で生い茂り、視界は青と緑で支配されていた。
今日は風が強く、洗濯物が大きな音を立てて揺れている。

 僕の身体をすり抜ける風を、両腕を広げて全身で受け止めると、昔本で読んだ光景を思い出した。
全身で風を感じる。まさにこれがそうなんだろう。
決して冷たい風ではないが、皮膚に突き刺さる日差しの痛みを優しく撫でてくれる。

 ベランダの手すりに腕を置いて、瞼を閉じ、耳を澄ませる。
風の通る音が耳を通り過ぎる音がする。
しいていうなら駆け抜ける音、という言葉がよく似合う。そんな風の音だ。

22 ◆AoH6mbCY.w 2010/11/07(日) 22:17:08.62 ID:asUpMEG70

( "ゞ)「……あ」

 風に気を取られて洗濯物を干す事を忘れていた。
籠に溜まっているシャツの一つが、風に飛ばされそうになっているのを視界の端で見て思い出す。
慌てて飛びそうになっているシャツをつかみ取ると、中断していた作業を再び作業を再開した。

 一つ大きな深呼吸をして気付く。ここの空気は澄んでいると。
街と比べれば自然は多い方だが、決して田舎という訳もない。
少し歩けば小さな商店街もある、車だって普通に道を走っている。

にも関わらず、肺に満たされる空気は、僕の生きて感じて来た中で一番に綺麗なものだ。
何がこんなにも違う要因をあたえているのか、僕には分からない。
けれどここの空気が気持ちいいのは確かだった。

( "ゞ)「さて、と」

 粗方洗濯物が終わり、個人でやるべき事は全て済ませた。
時間を持て余しているのも勿体ない。さっきしぃさんが言っていた図書館にでも行ってみようか。

部屋へ戻った時に見た時計は九時を指している。
昼には帰って来れるだろう。そう思いながら、僕は出掛ける準備を始めた。

23 ◆AoH6mbCY.w 2010/11/07(日) 22:17:55.16 ID:asUpMEG70

 永夏島に来て早三日。僕はそれなりにこの生活を満喫していた。
パソコンも何もない、書く事から離れての暮らしなんて記憶の限りでは初めてだった。

側にあるのは空と海と、自然と人だけだ。
それらがある生活がとても新鮮で、僕は事あるごとに喜びや驚きを感じていた。

 ここ二日間は外に出て色んな景色を見ていた。
どれも本だけでは分からなかったものばかりで、さながら無邪気な子供のようにはしゃいでいた。

 しかし同時に生まれる、焦りや恐怖。
僕が今こうしている間も、学校のみんなは皆自身の文章力、感性を磨く為に机に向かっているんだろうと。
そう思えば思うほど、何かをしないといけないという強迫観念に襲われていた。

そんなことばかり考えながら永夏島の全てを体感していたわけではない。
でも、本当に考えないでいたかと言われると、胸を張ってそうだと答えられなかった。

24 ◆AoH6mbCY.w 2010/11/07(日) 22:18:44.52 ID:asUpMEG70

一日たりとも本を読まずに過ごして来た事がなかった事も、勝手に一人で焦っている理由なんだと思う。
小説から一時的に離れる。そう決めた僕は永夏島へ行く際、一切の本を持たずに出たのだ。

けれどそれが逆に不安感を煽る火種となってしまった。
読まない期間が長ければ、書かない期間が長ければその分筆力が落ちるという話を聞いた事があるからだ。
今まで培って来た物が崩れてしまったらどうしよう。時々そんな事を考えては怖くなったりしていた。

 だからしぃさんが今日図書館へ行く事を勧めてくれたのは、僕にとって少し心が軽くなった。
しぃさんの考えが僕の意を読み取ったのか、はたまた何となくなのは分からない。
何にしても、今の僕には必要な場所だった。

( "ゞ)「先生がこの事知ったら、怒るだろうな」

 書く事から離れると言ったのは僕の方なのに、自分からそれに身を寄せようとしている。
いつだってそうだ。何かをしようとして結局今までと変わらない。
それは以前からずっと先生に言われて来た事でもあった。

( "ゞ)「……いや、大体永夏島の事を僕は何も知らないんだ。
    これはその情報を知る為に行くんだ。そう、そうなんだ」

 図書館に行く理由は学校の事や課題、書く事そのものに触れる為ではない。
自然とそういう風に流れて行く思考を離れさせる為に、一人そんな事を呟いていた。

25 ◆AoH6mbCY.w 2010/11/07(日) 22:19:41.42 ID:asUpMEG70

 午前の太陽は暑く、アスファルトを歩く僕を照らしていた。
景色の向こう側は曖昧にぼやけていて、陽炎を起こしている。
道行く人は誰もいない。こんな暑い中外に出る人は滅多にいないだろう。

事実、二日間外に出ている間、歩いている人を見たのはほんの少し。
その大半が夏休みを満喫している小学生だった。

(;"ゞ)「さ……流石に暑い」

 二日間はギコさんの民宿の近くを散策しているだけだった。
たったそれだけなのに全身から汗が吹き出て、着ていた洋服が全て汗を吸っていた。

 今日向かう図書館は商店街から少し奥まった所にあるそうだ。
般若亭から商店街まで歩いて十分もかからないはずなのに、僕は既に汗をかいていた。
せめてもの救いは風がある事だ。強い風のお陰でいつもより過ごしやすく感じた。

(;"ゞ)「ん?」

 僕の前を、虫取り網を持った小学生達が走って来る。今日最初にすれ違った人だ。
暑さなどものともせず、林に向かって行くその姿はとても輝いて見えた。
どの子も身体を真っ黒に焼いていて、とても健康そうだった。

27 ◆AoH6mbCY.w 2010/11/07(日) 22:20:45.84 ID:asUpMEG70

 対して僕の肌はとても白い。
日中は家と学校の行き来くらいしか外に出なかったせいだろう。
そのせいか日焼けをするとすぐに赤くなる。今も少し腕がヒリヒリしていた。

(;"ゞ)「最近の小学生は凄いな……」

 自分自身と十歳しか変わらないのにそんな事を思ってしまう。
元気いっぱいの彼らが向かう先には、僕が知らなかった世界が沢山有るんだろう。
そう思うと、あの子供達がが少し羨ましくなった。

(;"ゞ)「にしてもまだなのか……。昼過ぎてから出ても良かったな……」

 正午の空へと変わりつつある太陽は、僕の頭上で針のような日差しを降り注いでいた。
額を流れる汗を拭うと、僕は図書館への道をゆっくり歩いていた。

28 ◆AoH6mbCY.w 2010/11/07(日) 22:21:54.68 ID:asUpMEG70

 目的地である図書館に着いた頃には、水でも浴びたかのように全身汗で濡れていた。
図書館に入ってすぐに流れたクーラーの風に寒気を感じる。

 外と中の温度差に身体がついてきていない。
先程までの暑さはどこへいったのやら、今度は全身寒さで震えていた。

(;"ゞ)「うう……取り敢えず直接風の当たらない所へ……」

 館内に人はほとんどいない。
夏休みを利用して来た学生が机に向かって勉強している姿が少しあるだけだった。

 席を探そうとうろついていると、奥の机が空いているのが見えた。
クーラーの風もあまり当たらず、人の入りも少ない場所。
ちょうどいいと思い椅子に座ると、身震いする腕を摩った。

 窓から差す日差しはガラスを介しているため、外にいるときよりは日差しの痛みを感じない。
中の冷たさと外の日差しが合わさって、小さなスペースに常温をつくりだしている。
それが心地よくて、身体が館内の温度に慣れるまでの間座っている事にした。

31 ◆AoH6mbCY.w 2010/11/07(日) 22:22:42.69 ID:asUpMEG70

 座っている席から一番近い所には、郷土資料というカテゴリが付けられた本棚がある。
身体の冷えも収まり、室内の温度に適応されているのを確認した僕は、その本棚の前へと向かった。

 本棚には所狭しと永夏島のことについて書かれた本がある。
その中から僕はページ数の少なそうな、厚みがない本を一冊手に取った。
席に戻って読む前にどんな内容の本なのかを知ろうと思い、ページを捲って行く。

( "ゞ)「永夏島の歴史……」

 まだ真新しいそのページを捲ると、さほど小さくない文字が並んでいた。
主題は永夏の歴史、内容は簡潔。
一度ページ全体に目を通すと、僕は右から順番に文章を目で追って行った。

 ……永夏島。名をえいげと言うその島。
昔この島にたどり着いたニュー速の民がこの島の事をそう名付けたという。

 永夏とはその名の通り、永遠たる夏という意味合いを持つ。
ニュー速国の南に位置している永夏は一年中高気温で、冬でも過ごしやすい。
反面夏は猛暑に見まわれ、六月からその暑さは頭角を現す。

 また、永夏の海はどの国の海よりも美しいと言われている。
澄み渡った透明な海水は、遠くから見ると太陽の光に反射して青く輝く。
この海の美しさを見たいという人で、毎年夏はニュー速国から来る人で溢れ返っている。

 この他にも永夏には……。

33 ◆AoH6mbCY.w 2010/11/07(日) 22:23:33.28 ID:asUpMEG70

 今まで知らなかった。いや、知ろうとも思わなかった永夏島の事が多く記されていた。
それだけに永夏島の事を一つ一つ知っていく度、頭の中が訴えた。
情報が欲しい、もっと知りたいという知識欲だった。

 気がつけば立ったまま本を読んでいた。
それほどページ数があった訳ではないこの本は、あと数十ページで終わりを見せようとしている。

 もう少し色んな本を読んでみよう。
そう思い立ち、本棚から数冊の本を引き出し、脇に抱えて席へ戻ろうとしたときだった。

(;"ゞ)「……わっ!」

 振り返ったその拍子に、僕の後ろを横切ろうとしていた人とぶつかってしまった。
本と本がぶつかり合い、派手な音を立てて床へ落ちて行く。
スローモーションに見えたその光景をぼうっと見ていた。

 次いで聞こえた男の人の尻餅をつく音に僕は現状を理解した。
 とにかく謝らないといけないと思った僕は、男の人が何かを言おうとする言葉を遮って謝罪の言葉を並べた。

(;"ゞ)「ごご、ごめんなさい! ぼうっとしてて、あの、ごめんなさい!」

 勢い良く頭を下げる。混乱しているせいなのか、いつもより声が大きくなっているような気がする。
頭を下げているせいで男の人の表情までは見えない。いや、逆に見えない方がいい。
もし怒りの色を露にしていたらと思うと、それだけで腰が引けてしまう。

35 ◆AoH6mbCY.w 2010/11/07(日) 22:24:38.31 ID:asUpMEG70

(´<_`;)「いや……別にそんなに謝らなくても」

 戸惑ったような男の人の、許しの声が聞こえる。
ほっと胸を撫で下ろしていると、男の人が散らばった本を取ろうとしているのが見えた。

 ぶつかってしまったのは僕の方なのに何もしない訳にはいかない。
その場に座り込み、僕も男の人と一緒に散らばった本を集めた。

( "ゞ)「ん?」

 本を集めている最中、ある事が気にかかった。
自分の手元にある本と、床に散らばっている本。
そして男の人が今持っている本を交互に見比べた。

( "ゞ)(……こんなに読むのか?)

 恐らく合計三十冊。それもさまざまなジャンルの本だった。
文学、論文、哲学、科学、ラノベ。
厚みのある本から絵本のような薄い本まで多種多様だ。

 まさかこれを一人で読むのだろうか。
僕は目の前で本を拾っている男の人を訝しげな眼差しを向けていた。

37 ◆AoH6mbCY.w 2010/11/07(日) 22:25:36.19 ID:asUpMEG70

 男の人の本も集め終わり、渡しやすいように整頓していると視界の端に靴が見えた。
誰だろうと見上げると、そこには僕と一緒に本を拾っていた男の人が立っている。
いや違う。正確にはよく似た男の人が、腕を組んで僕たちを見下ろしていた。

( ´_ゝ`)「何をしているんだ弟者」

 見下ろしている男の人を見て、座り込んでいる男の人を見る。
その似ている様子から見て、恐らく兄弟なんだろう。
座っていた、弟者と呼ばれた男の人は長い溜め息を吐くと憎々しげにもう一人の男の人へ毒を吐いた。

(´<_` )「見て分からないのか。兄者の目は相当な節穴だな」

 本を集め終えた弟者という人は立ち上がり、自身の持っていた本を兄者と呼ばれた人に渡した。

( ´_ゝ`)「大きな音が聞こえたから何事かと思って来てみれば……。
      また司書さんに怒られるだろう。先週も怒られたばかりなのに」

(´<_` )「兄者が手伝えばこんな事にはならなかっただろうな」

( ´_ゝ`)「何を言う。俺はエロ画のファイルをどこに隠そうかと思っていてだな」

 僕の存在を気にせず、真顔でエロ画像ファイルの隠し場所について話している二人。
話を割ってもいいものかと立ち往生になって迷っていると、弟者さんが僕の方に気付き、思い出したように言う。

39 ◆AoH6mbCY.w 2010/11/07(日) 22:27:34.61 ID:asUpMEG70

(´<_` )「すまなかったな。
      このバカ兄がエロ画になどに目をくれているせいで二次被害を及ばせてしまって」

( ´_ゝ`)「それを言うなら弟者の方もだろう。前方確認もせずに歩いているからこうなるんだ。バカ弟」

 二人の間を張りつめた空気が漂う。
弟者さんの睨みに、兄者さんが口角を上げてそれを迎え入れている。
今にも掴み掛かって暴れそうな雰囲気に、僕は一人慌てふためいていた。

(;"ゞ)「元々は僕がぶつかってしまったのが悪かったんです。
    本当にすみませんでした」

 発端は気配に気付かずに弟者さんにぶつかった僕だ。
暫くは二人は互いの悪口を言いあいながら睨み合っていた。
しかし、僕の声に気付くと何事もなかったかのように僕を見ていた。

40 ◆AoH6mbCY.w 2010/11/07(日) 22:28:54.01 ID:asUpMEG70

(´<_` )「ははは、すまない。何も気にする事などないぞ。ほら行くぞ兄者」

( ´_ゝ`)「俺ヒキだからこんなに本持てないんだが」

(´<_` )「俺も同じ量だ。いいから行くぞ」

 弟者さんはそう言いながら、僕が集め終わっていた本を受け取った。

 弟者さんを置いて元の席へと戻ろうとする兄者さんの後を追い、足を蹴る弟者さんの姿が見える。
それに反応した兄者さんが仕返しに弟者さんの足を蹴り、また弟者さんが兄者さんの足を蹴る。
そのサイクルを繰り返して行くうちに酷い攻防戦になっていった。

 再び険悪な空気になる。
しかしどうすれば良いのか分からず、僕は二人の去って行く姿を見届ける事しか出来なかった。
最終的に弁慶の泣き所に見事当てた弟者さんが勝ち、踞る兄者さんを置いて先へ行く姿を最後に見た。

41 ◆AoH6mbCY.w 2010/11/07(日) 22:30:32.81 ID:asUpMEG70

 台風のような人達だった。
彼らがいなくなると、辺りは異様なまでに静かになっている。
つい先程までは当たり前だった空間なのに、ほんの数分の騒がしさでこんなにも変わる物なのか。

 それにしてもあの量の本を二人で読むのだと考えると、凄いと思った。
並大抵の本好きではとあの量を読もうとは思えない。それも、本当に心から好きじゃないといけない。
あれほどの量を読もうとするんだ。読む事がとても好きなんだろう。

 そういえばいつから僕は積極的に本を読まなくなっただろうか。
今ではあんなに本を読もうとは思わないし、思えない。
読む理由は作者の文章の書き方、情景描写、人物の立たせ方を学ぶ為に読んでいた。

いつから、楽しんで本を読まなくなったのだろうか。

( "ゞ)「……」

 考えても答えは出ない。
それと同時に、読む事を作業化していた事実に気付いてしまった。

本来ならば気付けた事を喜ぶべきはずだが、素直に喜べない。
むしろ先生の言っていた、近い未来自ら書く事を止めるという意味をまた一つ知ってしまった。

 それでも今は違う。知りたくて、分かりたくて本を手にしている。
少なくとも、部屋で一人淡々と机に向かっていた自分とは違うんだ。

自分自身にそう言い聞かせながら、床の隅に置いていた本を拾い上げる。
本の表紙を軽く払うと席に戻り、先程とは別の、また新しい本を捲った。

43 ◆AoH6mbCY.w 2010/11/07(日) 22:32:46.30 ID:asUpMEG70

 時計の鐘が十二回鳴る。その事に気付いて本から目を離すと、時間は正午を迎えていた。
ここに着たのが九時半を過ぎた頃。つまり二時間半近く本を読んでいた事になる。

読む事に集中していて気付かなかったのは随分久しぶりの感覚だ。
長時間座っていた身体を解すため、全身を大きく伸ばした。

 身体を伸ばし、集中力が途切れた拍子に空腹が襲って来た。
それまでは少しも感じていなかった空腹感を抑えるため、腹を撫でる。

 昼食はしぃさんが用意してくれている。
それに、昼頃には帰ると言っていたからもういるのかもしれない。
読み終わった本を元あった場所へと直すと、身支度を整えた。

 帰り際、兄者さんと弟者さんの後ろ姿が見えた。
受付入り口の近くに座っていて、兄者さんの前には話に出ていたノートパソコンが開かれたまま置いている。

 声を掛けて帰ろうかと思ったけれど、それは出来なかった。
二人とも十二時の鐘の音にも気付かないくらい集中して本を読んでいたからだ。
声も掛けられない程の空気。何故だか、その空気を壊してしまったらいけないような気がした。

 気付いていないと分かっていながらも、僕は二人に会釈をして図書館を出た。

44 ◆AoH6mbCY.w 2010/11/07(日) 22:34:53.59 ID:asUpMEG70

 宿に戻るとしぃさんが帰って来ているらしく、扉の鍵が開いていた。
扉の音を聞いて駆けつけたしぃさんはエプロンをしている。
昼ご飯をつくっていたんだろう。扉を開けた瞬間に香る匂いに腹の虫が騒がしく鳴き出した。

(*゚ー゚)「デルタ君、おかえりなさい」

( "ゞ)「ただいまです」

(*゚ー゚)「お昼まだでしょう? 早く帰って来れたからおかずも一緒に作っちゃうね」

 待ってて、と言いながらしぃさんは慌ただしく台所へと戻って行った。
手伝おうとは思うけれど、料理は得意ではない。
自分で自分の為に作る食事はどうしても簡素で手を抜いた物になってしまうからだ。

 ここは大人しく座って食事が出来るのを待とう。
持っていた荷物を部屋へ置き、居間へ戻る。
数日の間に自然と決まった僕専用の席に座ると、せめてもと机の上を簡単に片付けた。

 それから数分もしないうちにしぃさんが料理を運んでやってきた。
準備を始めるしぃさんと一緒になって支度をすると、向かい合わせになっていただきます。
早速おにぎりに手を伸ばした僕に、しぃさんはそうだと言って話を切り出した。

(*゚ー゚)「図書館、どうだった?」

( "ゞ)「はい、久しぶりだったんでつい長居してしまいました」

(*゚ー゚)「そうなの。なら良かったわ」

46 ◆AoH6mbCY.w 2010/11/07(日) 22:35:34.17 ID:asUpMEG70

 風が強い。窓際に下げられた風鈴の音が朝より激しい音を立てている。
窓という窓を開け放した居間は、扇風機が必要ないくらい涼しかった。

 多めに盛られたおにぎりの山からもう一つ取ろうとすると、しぃさんに問いかけられた。

(*゚ー゚)「永夏の暮らしは慣れたかな?」

 おにぎりを頬張っている最中に聞かれたその問いに、僕は頷いた。

(*゚ー゚)「ここってさ、多分デルタ君からしたら凄く不便な所だと思うんだよね。
     街と比べて規模も小さいし、何か面白いところがあるわけでもないし。
     正直、すぐに飽きちゃうと思うの」

 そんな事はない、むしろとても楽しい。僕はその意を伝える為に首を横に振った。
おにぎりを食べていなければはっきり違うと言えたのに。
しぃさんは僕の意を読み取ってくれた用で、上品に笑いながらありがとうと行ってくれた。

(*゚ー゚)「ふふ。そう思ってくれているなら良かった。
    私もここに来て長いんだけど、最初は本当につまらなかったの」

( "ゞ)「しぃさんは永夏島の生まれじゃないんですか?」

(*゚ー゚)「そう。ギコ君がここの生まれでね、私とギコ君はいとこなの。
     それで夏休みを使ってここに遊びに来たりはしてたんだ」

 いとこ、そう聞いて僕は納得した。
ギコさんとしぃさんに通ずる似たようなあの雰囲気は似た者同士だけじゃないように思えていたからだ。

47 ◆AoH6mbCY.w 2010/11/07(日) 22:36:35.41 ID:asUpMEG70

 話を聞くに、幼い頃から一緒に遊んでいたんだろう。
ギコさんの明るさもしぃさんの明るさも、きっと幼い頃から互いに触れてつくられたんだろう。

(*゚ー゚)「島に来たときはそれなりに楽しかったけど、街と比べたらする事も少ないからやっぱりすぐ飽きちゃうの。
     だからあの時は、ずーっとこの島で暮らしているギコ君が凄いと思ったんだ。
     私だったら、絶対つまらないって思うから」

 確かにしぃさんの言う通り、ここにあるものはあまり多くない。
都会では感じられなかった物も多いけれど、その分都会と比べて足りない物も多い。

最初からそこにいる人にとっては何でもない物だろう。
けれど途中からそこに参入した人は、足りない物に不便を感じる。

 正直言うと、僕自身不便を感じる面はなかったとは言えない。
例えばコンビニが遠い事、街への移動手段が少ないという事。
そういう、ここで暮らす上において必要なものは多々あった。

 けれどそういうものだと割り切ってしまえば案外どうにかなるものだ。
今まで外に出歩かなかったから、歩く事で健康体になろうと思える。
コンビニも一人暮らしだから活用していただけであって、そうでなければ通う事もなかった。

 事前知識もなしに来たせいだろうか。
むしろ思っていた以上に色んな物がある印象を受けた。
だからしぃさんが言うほど不便や退屈を感じないんだろう。

48 ◆AoH6mbCY.w 2010/11/07(日) 22:37:21.57 ID:asUpMEG70

 のんびりと箸を進めながらしぃさんは更に話を続ける。
沢山あったおにぎりは、もう半分以下しか残っていなかった。

(*゚ー゚)「でも不思議な事に私はギコ君と結婚して、ここにいて、今でも飽きてないんだ。
     これがまた何でなのか、わからないんだけどね」

 言いながら、本当に不思議だと言うようにしぃさんは更に続ける。

(*゚ー゚)「住めば都ってやつなのかしら。
    今になって知る事も多いし、よく見ると毎日が同じじゃない。
    街とは違った楽しみがあったのよね」

 街と違った楽しみ。それは確かにあると思う。
空の青も、海の青も、風の優しさも太陽の痛みも街では決して味わえなかった。
ここに来て知った事や理解した事はとても多い。僕はしぃさんのその言葉に頷いた。

(*゚ー゚)「へへっ、こんな話しても何かある訳じゃないんだけどね。
    デルタ君がもっと永夏を気に入ってくれたらいいなぁ、なんて思っちゃったんだ」

 話している間ゆっくりだったしぃさんの箸に少し動きが出た。
見かけに似合わず沢山食べるしぃさんは、残っているうちのおにぎりを全て平らげるスピードで食べ始めた。

 対して僕のお腹はすでに腹八分目を越している。
しぃさんの食べる勢いを眺めながら、ついさっきしぃさんが言っていた言葉に遅めの返答した。

49 ◆AoH6mbCY.w 2010/11/07(日) 22:38:33.92 ID:asUpMEG70

( "ゞ)「気に入る……とは違いますけど、凄く良い所だと思います。
    何と言うか、凄いです。とても」

 言葉が足りない。どう言い表せば良いのかわからない。
今の僕が持っている言葉じゃどれも当てはまらなくて、抽象的な言葉しか浮かばなかった。

 頼りない僕の言葉をしぃさんはどう受け止めてくれただろうか。
そんな一時の不安は、ギコさんの時のと同じ笑顔で吹き飛ばしていってしまった。

(*゚ー゚)「そんなに無理して言葉を探さなくてもいいのよ。
    何にしても、気に入ってくれたら嬉しいんだから」

 ありがとう。そう言ってしぃさんは最後のおにぎりを小さな口を開けて食べた。

 食後の心地よさと風の気持ち良さにうとうとしてしまう。
 あっという間に用意されていたおにぎりと少量のおかずを食べた僕たちは食後、居間でくつろいでいた。

(*゚ー゚)「そうだ、夕飯の買い物にもいかないといけないんだ。
     デルタ君一緒に付き合ってもらえるかな?」

 思い出したように言うしぃさんに、僕の返す言葉はもう決まっていた。

( "ゞ)「もちろん、いいですよ」

50 ◆AoH6mbCY.w 2010/11/07(日) 22:40:06.59 ID:asUpMEG70

 朝より雲が出ている空には、時々太陽が雲に隠れながら夏を降り注いでいる。
ここに来て日は浅いけど、この島の良さは実感していた。
些細な事から大きな事まで、それは驚く事でいっぱいだった。

 この島で過ごす夏はこれからだ。
昼下がりのまどろみの中、遠くに風鈴の音を聞きながら僕は夏の音に身を寄せた。






戻る
inserted by FC2 system