3 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/05(日) 22:53:15.74 ID:8jI/tcky0

 もうすぐ妹が帰ってくるの。
夕食の席でしぃさんが嬉しそうに、そう話していた。

(,,゚Д゚)「へぇ、つーの奴こっちに戻って来るのか」

(*゚ー゚)「そうなの。早ければ明日にでも帰ってくるんじゃないかしら」

( "ゞ)「ふうん……」

 どうやらしぃさんの妹さん、つーさんが久々に家に戻って来るとの事だった。
つーさんは永夏島の隣にある小さな島でバイトをしていて、そこで一人暮らしているみたいだ。

 聞いた事のないその島との距離は船で一時間程度。
その為たまに帰ってくるらしいけれど、シフトの関係で中々長くはいられないらしい。
けれど、今回はいつもより長く休みが取れたそうだ。

 昨晩、遅くに電話があったのは妹さんだったのかもしれない。
久しぶりだけど元気かな。そう言って、しぃさんは朝からとても楽しみにしていた。

5 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/05(日) 22:54:23.08 ID:8jI/tcky0

(*゚ー゚)「デルタ君より三つ上だったかしら。
     騒がしいけど、とっても良い子なの」

 ギコさんとしぃさんの話を聞きながら食べていた僕は、唐突に話題を振られて慌ててしまった。
どう返答すれば良いかと迷った僕は曖昧に笑い、そうですかと言ってやんわり受け止めた。

 兄弟もいない、歳の近い親戚もいない僕にとってしぃさんの妹さんに対する想いが少し羨ましかった。
もし僕に上の兄弟がいたら、あんな風に思ってくれるだろうか。
もしくは僕に下の兄弟がいたら、しぃさんみたいに穏やかな顔をして笑えるのだろうか。

有りもしない事を考えながら、僕は箸を動かしていた。

(,,゚Д゚)「でもあいつ結構男勝りだからな。デルタ、泣かされないようにしろよ」

 ご飯を口に頬張りながら話すギコさんに、僕はまさかと呟いた。
呟きが聞こえたのか、ギコさんは訝しげな顔をする僕を見てニヤリと笑って見せる。

(,,゚Д゚)「そのまさかが起きるかもしれないぜ」

(;"ゞ)「ぼ、僕だって一応立派な男ですよ。
    例え年上でも女の子に泣かされるなんて、何があってもないです」

 断言するようにはっきりと言うけれど、ギコさんは相変わらずニヤニヤしている。
意地の悪い笑みではない。子供が悪戯を企んだときのような笑みだった。

8 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/05(日) 22:57:06.73 ID:8jI/tcky0

 僕らのやり取りを見ていたしぃさんは、飽きれた声でギコさんの名前を呼ぶ。

(*゚ー゚)「あんまりデルタ君の事からかわないの。
     つーももう大人なんだから、酷い悪戯はしないはずよ」

 酷い、という言葉が引っかかるけれどこれ以上言及しても僕が不安になるだけだろう。
妹さん、つーさんの事に関してこれ以上問う事を止めた僕は、残りのご飯を勢い良く掻き切った。

 元々大食らいではない胃袋は既に悲鳴を上げているけど、聞かない振りをした。
胃袋の危険信号よりも、しぃさんの作る栄養のあるご飯を残してしまうのが心苦しかったからだ。

( "ゞ)「御馳走さまです」

 丁寧に手を合わせて、空になった茶碗と皿に向かって頭を下げる。
当たり前の事なのに、一人暮らしをしてからはすっかり忘れていた。
誰もいないのに頂きます、御馳走さまというのは空しい気分になるからなどと思い、しなかったからだ。

(*゚ー゚)「お粗末様です」

 人と暮らすというのは、それだけで価値のある物なのかもしれない。
両親と暮らしていた時は誰かがいるのが日常になっていた。
そのせいか、同居人であった両親に対して時折鬱陶しさすらも感じていた。

今思えば単なる一過性の、思春期が故の反抗だったのかもしれない。
一人暮らしを初めて今日まで、ホームシックになることはなかった。
けれど誰もいない部屋に寂しさを覚えた事は決して少なくはない。

 優しく微笑むしぃさんと、豪快に笑うギコさん。
その二人のいる生活が、今の僕には暖かく感じた。

10 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/05(日) 22:58:43.94 ID:8jI/tcky0

 立ち上がり、食べた食器を流し台の水に浸けに行く。
洗いやすいようにと思い、簡単に茶碗を濯いでいると後方から人影の気配がした。
振り返らずに茶碗を洗う。隣には予想通りと言うべきか、しぃさんがギコさんの分の茶碗を持って立っていた。

 折角だと思いしぃさんの持つ食器も一緒に洗おうと手を伸ばす。
けれどしぃさんはいいの、と言いたげに僕を見る。食器を手に持つ力は緩みそうにない。
どう言えばいいのか分からず、僕はしぃさんの視線に頷く事で任せて欲しい意を伝えた。

 ありがとう。その言葉からはほんの少し、すまなそうな声色を読み取った。
しぃさんは持っていた食器を僕に渡すと、隣で溜め息をつきながら流し台に背を預けた。

 物言いたげに天井を見ているしぃさん。
特に声を掛ける事もせず皿を洗っていると、独り言のように口を開いた。

11 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/05(日) 22:59:25.27 ID:8jI/tcky0

(*゚ー゚)「ギコくんも最初の頃はデルタ君みたいに手伝ってくれたのに
     甘やかしたのがいけなかったのかな?」

 愚痴を言いながらもしぃさんの口元は緩んでいる。
はっきりとした愛を示すギコさんと違い、しぃさんは言動や行動の節々からギコさんへの愛を感じる。

最初の頃は気付かなかった微妙な言葉のニュアンスや行動が徐々にわかり始めていた。
それを見つけるたびに僕は一人胸の内で頬を緩ませているのだ。

(*゚ー゚)「なぁに、楽しそうな顔して」

 訂正。どうやら胸の内に収まりきれずに顔に表れているようだ。
人の恋路、ましてや自分より人生経験の多いしぃさんを見て微笑ましく思って、なんて言えなかった。

何でもないです。そう言って首を横に振るも、しぃさんは納得のいかない表情をする。
そんなしぃさんを見て見ぬ振りして手を動かした。

 一人でやれば掛かる作業も二人でやればすぐに終わる。
三人分の皿を洗い終えると、しぃさんはもう一度僕にお礼を告げた。

お礼を言われて気分を悪くする訳はないけれど、何だか胸がくすぐったい。
照れるような、嬉しいような、何とも言いがたい、はがゆい気持ちだ。

15 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/05(日) 23:01:53.04 ID:8jI/tcky0

 居間に戻るとギコさんはいなかった。
どこへ行ったんだろうと思いながら窓の外を見ると、暗闇の中に月が輝いているのが見えた。
辺りには申し訳程度の電灯しかないここ一帯は、月のみならず星もよく見える。

 数字が小さいほど輝きが低い、だなんて言葉が理解できなかった幼い頃を思い出す。
星だなんてみんな同じ色で同じ光しか放たない。少なくともここに来るまではそう思っていた。

けれど実際は、思っていたのと違っていた。
確かに星は微かながら、それぞれ違う色と輝きを持っていた。
昔の自分に胸を張って言ってやりたい気分だ。物事は必ずしも一つの視点で決まる訳はない、と。

 随分物思いに耽っていたのか、しぃさんに呼ばれるまで僕は窓際にずっと立っていた。
名前を呼ばれて慌てて振り返る僕の様子にしぃさんが小さく笑った。

 きっと惚けた顔をしていたに違いない。
僕は恥ずかしさを隠そうと、手の甲で口元を拭う動作をした。
けれどそれすらも不自然に思われたのか、しぃさんは先程よりも笑みを深めている。

17 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/05(日) 23:03:04.93 ID:8jI/tcky0

(*゚ー゚)「お風呂湧いてるんだけど、デルタ君先入る?」

 しぃさんのこの言葉に僕は首を傾げた。
というのも、いつもならギコさんが先に風呂へ入るはずだからだ。

 ギコさん自身がそう言った訳ではない。
けれど泊めてもらっている身としては先に入るのは気が引けてしまうと考えての事だ。

僕自身が言う前に、その意を汲み取ってくれたしぃさんがギコさんに口添えしてくれた。
以来、ここでの風呂事情はギコさんが入った後に僕が入るという暗黙のルールが成立していた。

( "ゞ)「いいんですか?」

(*゚ー゚)「いいわよ。ギコ君ったらどこにいるのか、返事してもいないみたいだし。
     せっかく湧かしたお湯が勿体ないから、気にしないで入っちゃって」

 僕が渋るだろうと予想したんだろう。
しぃさんは僕が返答をするよりも早く僕の背中を押していた。

 それならお言葉に甘えて。
僕は了解の意をしぃさんに伝えると、着替えを取りに二階の部屋へと早々に足を運ばせた。

19 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/05(日) 23:04:00.68 ID:8jI/tcky0

 民宿という形態を取っているこの家は、何かと共同スペースを取る場合が多い。
トイレしかり洗濯しかり。そしてそれは風呂にも言える事だった。

( "ゞ)「ふー……」

 通常の一般家庭より少し広めの風呂場に、大きな浴槽。
その浴槽も、足を伸ばしてまだ二人入るくらいの広さだ。
贅沢にど真ん中を制すると、膝を抱えて湯船に浸かった。

 熱めに張られたお湯が身体の疲れを取ってくれるような気がする。
ここ数日、足を使って行ける所まで歩いて来た。

教えてもらった図書館へ行く道中で他の道を通ったりしているけれど、土地勘がないせいであまり先へは進めなかった。
本で吸収した知識はあくまで昔のものであり、最近の情報は載っていない。
しぃさんやギコさんに聞くという手もあるけれど、どうにも気が引けてしまい中々言い出せずにいた。

( "ゞ)「思い切って遠くに行けたらな……」

 しぃさんの付き添いで商店街へ行ったり、ギコさんの手伝いで港まで同行する事はある。
けれど少なからず物足りなさは感じていた。

21 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/05(日) 23:05:28.02 ID:8jI/tcky0

 無論、どこへ行っても今まで知らなかった世界で楽しいのは変わらない。
けれど、どうせなら自分の足で行ってみたい。いつしかそう思うようになっていた。

( "ゞ)「その内ギコさんに聞いてみようかな……ん?」

 思考を巡らせていると、湯気の向こう側で人影が見えた。
磨りガラスで張られたドアは、脱衣所にいる人の姿を微妙に映し出している。
明確な行動までは検討が付かないが、誰かがいるのだけは確認できた。

 もしかするとギコさんなのかもしれない。
そう思った僕は特別何かをする訳でもなく、真ん中に大きく陣取っていた浴槽から少し端の方へとずれた。
と、同時に勢い良く、脱衣所と風呂場を隔てる扉が開かれた。

(*゚∀゚)「おっ、何だ先約か」

 扉を開けた先にいたのは、見覚えのない女性の姿だった。

24 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/05(日) 23:07:09.09 ID:8jI/tcky0


(;"ゞ)「……え、あ……え?」

 一瞬訳が分からなくなる。
控えめな胸を晒したその女性は、腰にタオルを巻き付けて僕をじっと見ていた。
視線のやり場に困った僕は女性から目を逸らし、壁に身体を向けていた。

 しぃさんに良く似たその女性は僕がいるのを知って知らずか、躊躇なく風呂場へと足を踏み込んで来た。
備え付けられているシャワーのコルクが空騒ぎし、勢い良く出る水の音が響く。
鼻歌を歌っている女性からは、僕という存在をまるで忘れているかのようにも思えた。

 湯船に浸かっているはずなのに寒気を感じるのは気のせいではないだろう。
いっそ話しかけられる前に風呂から上がってしまおう。そう思い、立ち上がろうとした。

 けれどそれは叶わず、既に女性は僕の傍まで来ていた。
近距離で見つめられ、蛇に睨まれた蛙のように動けなくなる。

 女性が苦手という訳ではないが、こういう場面に直面した事がない為対処法が思いつかない。
頭の中では色々考えているのに、身体が頭を駆け巡る言葉を認識できず動けずにいる。

 固まっている僕の事など気にしない様子で、女性は湯船の中に足を入れた。
そこからゆっくりと浸かり、僕の隣へと女性はやって来る。

女性が少しこちらへ寄れば、僕も同じ方向へ寄って行く。
何度かその行動を続けて行くうちに、壁際まで追いつめられてしまった。

26 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/05(日) 23:08:05.91 ID:8jI/tcky0

 女性は相変わらず僕の顔を見ている。
それもじっと見つめるのではなく、色んな方向から角度を変えてジロジロと見るような視線だ。

 出来るだけ身体を見ないようにと努めていても、視線はそちらへ行ってしまうのが悲しい男の性。
女性の顔より胸に目を向けている自分に、情けなくなってしまった。

(*゚∀゚)「へぇ、お前がギコ兄さんが言ってた客かー」

 ギコ兄さんということは、彼女もきっとギコさんの知り合いか何かなんだろう。
そういえばさっきしぃさんがもうすぐ妹が来るとか言っていたのは、彼女の事なのだろうか。
整理の付かない頭で考えるも、うまく状況を飲み込めないでいた。

まじまじと見られる視線に耐えきれなくなり、いよいよ僕は彼女の方に声をかけた。

(;"ゞ)「あああ、ああの!」

(*゚∀゚)「ん? 何だ?」

 けれど話しかけられた彼女の方は実にあっさりとしている。
一見してみればきっと、慌てふためいている僕の方がおかしいと思われてしまうだろう。

 それでも先に入っていたのは僕であり、先に僕が出て行くのは負けた気分になる。
ここで意地なんぞ張らず大人しく出て行けばいいのに、僕は真っ向から彼女に勝負を挑んだ。

(;"ゞ)「その、僕男です!」

(*゚∀゚)「何だそのギャグ。誰がお前を女と思うんだよ」

29 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/05(日) 23:09:24.68 ID:8jI/tcky0

(;"ゞ)「そうじゃなくて、いや、あの……」

 はっきりと言えばいいものの、彼女の落ち着き様を見ていると自分自身に違和感を持ってしまう。
どうすれば彼女は状況を理解して出て行ってくれるだろうか。
そのことだけが頭にあり、必死に納得してくれそうな言葉を捜していた。

(*゚∀゚)「ああ、言いたい事が分かったぜ。それなら問題ねぇよ」

 悶々としている僕を見てだろうか。
彼女は分かったように、ぽんと手をたたくと的外れなことを言ってのけたのだ。

 問題ないと言っても、それは彼女の価値観であり一般的に見ればおかしいことなのだ。
そう反論しようと口を開いたが、それより先に彼女の手が僕の手首を掴んだ。

 予想外の行動に驚いた僕は、言いかけた言葉を飲み込み、後ずさりをして身を構えた。
一体何をされるのだろう。
堂々としたその佇まいで現れた彼女は、早くも僕の中で怪しい人としか思えなかった。

 手首を掴んだままの彼女は、僕の表情を楽しそうに見ていた。
笑うと八重歯が見える。こんな状況でなければ愛らしい物だと思っていただろう。
けれど残念なことに、この場面では愛らしい八重歯も悪魔の微笑を強く印象付けるものにしかならなかった。

31 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/05(日) 23:10:36.36 ID:8jI/tcky0

 僕を掴む彼女の手が湯船の中へと入る。
何もかもが予測不可能で、僕は自分の手が湯船に使った瞬間目を瞑ってしまった。

緊張から喉が渇いている。心臓の鼓動が頭にまで響いている。
とにかく僕の中にあったのは、得体の知れない恐怖だった。

 次いで手のひらに感じる、柔らかい感触。
瞼の内側は暗闇で、今僕が触れているのが何なのか、すぐには分からなかった。

だがこの感触は、僕自身が一番よく知っているものだった。

まさかと思い、触れられたそれを軽く握る。
柔らかくも、どこか硬さを感じるものが二つ確認出来た。
悲しいことにそれが何なのか、僕は見ずにして理解してしまったのだ。

 それでも真実を確認したいと思うのが悲しい性。
恐る恐る閉じた目を開いてみると、僕の手が彼女の股に添えられていた。

 言葉が出てこない。唖然として彼女の胸元と股間の両方を確認する。
上下運動を繰り返している間に、彼女が気味の悪い笑い声を出しながら僕の手に股間のそれを押し付けて来た。
押し付けられるたびに鳥肌が立ち、血の気が引いていくのを遠くに感じた。

(*゚∀゚)「な?」

 まるで勝ち誇ったかのような顔を浮かべた彼女を見たのを最後に、僕の意識はそこで途切れた。

34 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/05(日) 23:12:04.54 ID:8jI/tcky0




第四話:
賽は投げられた_





35 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/05(日) 23:12:51.53 ID:8jI/tcky0

 次に目を覚ましたのは、早朝の涼しい風が吹く頃だった。
意識を取り戻した当初、一体自分がどうして部屋で眠っていたのか思い出せなかった。

しかし、寝ぼけた頭でいきなり意識を手放す前の事を問われてもすぐには答えられない。
上体を起こし、風にそよぐカーテンの動きを眺めていると、唐突に昨晩の光景が頭を駆け巡った。

物の数秒のスピードで展開される視覚、聴覚、そして触覚。
夢ではない、はっきりとした感覚が再び僕に襲いかかる。
それは出来れば、思い出したくない物だった。

(;"ゞ)「……何だったんだ、あれは」

 誰もいない部屋で一人呟き、溜め息を漏らす。
あまりにも衝撃的すぎて言葉が出てこない。
僕は頭を抱えて、昨晩の出来事を整理する事にした。

 突然風呂場に入って来た人物は確かに胸がある、女性だった。
けれど意識が飛ぶ少し前、手に感じた触感は男の持つそれだった。

37 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/05(日) 23:13:47.22 ID:8jI/tcky0

 触感を思い出して、また不快な気分になる。
意識を失う前に見た、あの自信に満ちた笑みが忘れられない。

 恐らく彼女がしぃさんの言っていた妹なのだろう。
しぃさんの妹というのだから、大人しい人をイメージしていた。

しかし実際は大人しい以前に妹であるかどうか怪しい人であった。
そもそも妹というくらいだから、あの場面で驚く訳もなく一緒に風呂に入るのはおかしい。
けれど股間に男のそれを持つあの人は既に妹と名乗るべきなのかも怪しい。

(;"ゞ)「でも胸はちゃんとあったし……って何言ってんだよ僕…………」

 ぶつぶつと呟きながら考えを巡らせていると、階下からこちらへとやってくる足音が聞こえてきた。
僕のいる部屋は階段から遠くに位置しており、本来ならば階段を上る足音など聞こえないはずだ。

けれどここまで聞こえる大きな足音は、ここ数日聞いていた住人のどの足音のものではない。
ならば誰か。その答えは容易に僕の中で導き出された。

 徐々に近づいて来る足音に思わず身構える。
しぃさんとギコさんは一階の部屋で生活をしていて、二階は宿に泊まりに来た人のスペースとしておいてある。

だから二階にまで来る理由で一番に思いつくのは一つ。
唯一この宿に泊まっている僕に何らかの用事がある事くらいだろう。

40 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/05(日) 23:15:25.62 ID:8jI/tcky0

 案の定というべきか、足音は僕のいる部屋の前で止まった。
いつまでも布団に入っている訳にはいかないだろう。
そう思った僕は、部屋に入られる前に布団を畳んでおこうと腰を持ち上げた。

 布団から出たのとほぼ同じくらいだろう。
唐突にドアが開き、甲高い声が僕の耳に突き刺さった。

(*゚∀゚)「おーっス! 元気か!」

 ノックをして入ってくる物だと思っていた僕は、勢いのある声に驚いてしまった。
畳もうと思っていた布団が手から滑り落ち、どう反応すべきか迷う僕はそのまま固まっていた。

(*゚∀゚)「意外と起きるの早いな。ま、昨日あれからずっと寝てりゃ長く眠らなくてもいいか」

 何も言わない僕を置いて、我が物顔で部屋に妹さんは入って来た。
何か言うべきなのに声が出ない。唐突な登場と緊張から言葉が出てこないのだ。

 そうこうしている内に、妹さんはカーテンを開けて日の光を部屋に浴びさせた。
朝の澄んだ空気を吸う妹さんは、僕の事など気にせず、いい天気だと言いながら背伸びをしている。

41 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/05(日) 23:16:14.00 ID:8jI/tcky0

 昨晩と同じだ。完全に妹さんのペースに乗せられてしまっている。
このまま昨日のように黙っているわけにはいかない。
そう思いやっとの事で口にした言葉は、あまりにも小さく、覇気のない声だった。

(;"ゞ)「急に入ってくるのはどうかと思うんですけど……」

 自分で言っていて情けなくなる。
消え入りそうな僕の声に気付いた妹さんは、僕を見ながら納得したような顔をした。

(*゚∀゚)「アヒャ、こりゃうっかりしてた。すまんね」

 反省をしていないような明るい声で言うと、妹さんはまた窓の外の景色に目を向けた。
 追い返すにも恐らく、すぐに負けてしまうだろう。
会ってまだ一日も経ってないのに、早くも僕の中で苦手意識が芽生えていた。

 溜め息を吐きながら布団を片付け、妹さんの後ろ姿を見つめる。
朝日に照らされる妹さんの身体は、中性的で男にも女にも見えた。

しなやかな体つきは一瞬女性を思わせるが、反面男を思わせるようなしっかりとした筋肉を持っている。
斜め後ろから見える顔もそうだ。女性らしい格好をすれば女に、男性らしい格好をすれば男にも見える整った顔立ちをしている。
最も、今はノースリーブに半ズボンの格好はどう見てもやんちゃな男の子の印象しか見いだせないが。

42 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/05(日) 23:17:09.55 ID:8jI/tcky0

(*゚∀゚)「何見てんだよ」

 あまり見ていたのが良くなかったのだろう。妹さんは僕の方を振り返ってそう聞いて来る。
慌てて視線を逸らすも既に遅し、妹さんが怪しげな笑みを浮かべながらこちらまで来たのだ。
大きくて綺麗な妹さんの目が僕を覗く。その目はまるで、新しい遊び道具を見つけた子どものような目だった。

(;"ゞ)「何でもないです」

(*゚∀゚)「おっぱい見てただろ。やーらしー」

(;"ゞ)「見てません!」

 正直に身体全体を見ていた、だなんて言っても変態に思われるだけだ。
覗き込まれる妹さんの目が楽しそうなのが、何とも悔しい。

(*゚∀゚)「じゃあどこ見てたって言うんだよ」

(;"ゞ)「いや、だからそれは……」

(*゚∀゚)「言えねぇって事は、やっぱりおっぱいか」

(;"ゞ)「ちち、違います!」

 悔しいけれど口ではもう勝てない。今の僕が出来るのは妹さんの言葉を受け流す事しか出来ない。
しかしその受け流しすらもまともに出来ず、必死になっている僕に妹さんの口元は更に深みを増していた。

顔を背けて口を噤んでも、妹さんはしつこく僕に質問をして来る。
その様子すらも楽しんでいる妹さんに、僕はどうにかして妹さんが部屋から出て行ってくれないかと考えていた時だった。

45 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/05(日) 23:19:03.12 ID:8jI/tcky0

「つー、ご飯出来たから準備手伝ってよー」

 タイミング良く階下からしぃさんの声が聞こえた。
妹さん、つーさんは面倒くさそうにしぃさんに返事を返すと、僕の方を指差してニヤリと笑ってみせた。

(*゚∀゚)「準備できたら降りてこいよ」

 ここへ来たときと同じような足音を響かせながら、つーさんは部屋を出て廊下へ飛び出す。
遠ざかって行く足音を聞いていると、それまで緊張していた糸が途切れて行くのを感じ、ゆっくりと息を吐き出した。

(;"ゞ)「……何だったんだ……」

 まるで台風のような人だ。突然現れたかと思えば、人の調子を狂わせて消えて行ってしまう。
 髪を掻き乱し、もう一度溜め息を吐く。
爽やかな朝の空気も、今日ばかりは澄んだ気持ちにさせてくれないみたいだ。

47 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/05(日) 23:20:18.78 ID:8jI/tcky0

 着替えを終え、朝食を食べに居間へ向かう途中でギコさんと会った。
昨晩の事を聞いたんだろう、ギコさんは僕を見るなり哀れむような目を向けて僕の肩を叩いた。

(,;-Д-)「つーの奴、八月いっぱいまでここにいるつもりらしい。
    つまりお前が帰るまでずっと一緒だ。
    まあ何だ、色々あるかもしれねぇが泣かされないようにしろよ」

 ギコさんからしたら、きっとこれは僕を思う忠告をしたんだと思う。
けれど、今の僕にとってそれは死刑宣告を告げられたような気分だ。
ありがとうございますと言い、可能な限りの愛想を見せてギコさんに返し、仕事に出るギコさんの背中を見送った。

 居間では既に朝食の用意がされていて、しぃさんと一緒につーさんが僕を待っていた。
先程と変わらずいやらしい笑みを浮かべて僕を見るつーさんとは対照的に、しぃさんの表情はやや曇っている。
不穏な空気に耐えきれず、僕はつーさんの向かいに座りながら、その隣にいるしぃさんに挨拶をした。

(*゚ー゚)「おはよう。……昨日はごめんね、驚かせちゃって」

 申し訳なさそうな声色で、しぃさんはそう切り出してきた。
けれど当の事件の中心にいるはずの妹さんはまるで他人事のように僕に話しかけてくる。

(*゚∀゚)「あの程度で驚くようじゃ、本当にキンタマ付いてるか怪しいけどな!」

(*゚ー゚)「つー」

(*゚∀゚)「さーぁて、いただきます!」

48 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/05(日) 23:21:47.17 ID:8jI/tcky0

 怒っているような、いや、実際に怒っているだろうしぃさんの声を遮るようにつーさんは箸に手を伸ばした。
 丁度つーさんと向かい合うように並べられた朝食の前に着き、いただきますと挨拶をしてしぃさんに話しかけた。

( "ゞ)「僕は大丈夫ですよ。確かに驚きましたけど、今は落ち着いてますし」

(*゚ー゚)「いいのよ無理しないで。驚かない人の方が少ないと思うから」

 思わず口に出しかけた同意の言葉を飲み込む。
平気と言っておきながら、しぃさんの言葉に頷くのはおかしいと思ったからだ。

(*゚ー゚)「紹介が遅れたけど、この子が妹のつーよ」

(*゚∀゚)「本当はつぅ、何だけどみんなオレの事つーって伸ばして呼ぶんだ」

 胸を張り、えっへんと言わんばかりの様子のつーさん。
そんなつーさんとは対照的に、しぃさんはおずおずとした様子で話し出した。

(*゚ー゚)「デルタ君の言いたい事は分かるわ。
     そうね。つーは妹なんだけど、それはあくまで戸籍上の物。
     本当は性別がはっきりしない。無性別状態なの」

 無性別状態という言葉で僕は理解した。
それは今朝からずっと考えていた、つーさんに何故胸が有りながらも男のそれを持っているのかという理由でもあった。

 僕の反応を見て、しぃさんは安堵の表情を浮かべている。
それまで強ばっているように見えたしぃさんの佇まいがゆっくりと解かれていくのを感じた。

50 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/05(日) 23:23:16.85 ID:8jI/tcky0

(*゚ー゚)「知っているなら良かった。
    双成症候群。決して珍しい体質じゃないけど、多い訳じゃない特異体質。
    つーは両方の性を、持って生きてるの」

 双成症候群。昔医学関係の小説を書く為、漁っていた本の中に書かれていた病名だ。
たまに生まれて来る子どもの中に、両方の性別を持って生を受ける赤ちゃんがいるらしい。
男性にも女性にも、両方が持つべきものを持っている。そんな体質を持った人達だ。

けれどそれは、世間一般で特別問題視されるものではない。
成長とともに片方のホルモンの力が強まり、いずれは明確な性別を持つ事が出来るからだ。
詳しくは僕も知らないけれど、早ければ幼稚園、遅ければ成人になってからでも解消されるらしい。

それでも中には、一定の年齢を超えても両方の性を持ち続けている人もいる。
その場合は手術で片方の性を手にする場合もあるが、ホルモンの関係上中々手術まで踏み出す人はいない。
手術する事でホルモンのバランスが崩れ、肉体的にも精神的にも不安定になるというリスクがあるからだ。

 僕の周りにはそういった人間はいない。いや、もしかしたら僕が知らないだけで近くにいるのかもしれない。
だから僕は、つーさんが双成症候群を持つ一人という事実に現実味湧かなかった。
僕にはこの先、生きて行く上で無縁の事だと思っていたからだ。

51 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/05(日) 23:24:18.14 ID:8jI/tcky0

(*゚∀゚)「へっへー。格好いいだろ?」

 向かいに座っているつーさんは驚いている僕に、眩しいくらいの笑顔を見せてきた。
正直、僕はどうしてつーさんがそう笑っていられるのかが分からなかった。
仮に僕が双成症候群を持っていたとするなら、不安でたまらないはずなのに。

(;"ゞ)「格好いいって、そんな簡単に済ませてもいいんですか」

 考えずに出た僕の疑問に対して、つーさんは顔色を変える事なく明るい調子で返した。

(*゚∀゚)「だってよ、なんだかんだで苦労する事は何一つないんだぜ。
     むしろ上にも下にもあるものあってラッキーじゃん。
     どっちか一つを取るなんて、勿体ない気がするんじゃないか?」

(;"ゞ)「……そういうもんですか?」

(*゚∀゚)「実際生きていればふたなりなんちゃらを持っているとか、持っていた奴と会うんだぜ。
     逆に言えば、それくらいこの体質を持っている奴がいるんだ。
     別に変な目で見られることなんて、何ともないんだぜ」

 楽観的というか前向きというか、つーさんの言葉には不安が見えない。
むしろ自らに降り掛かった双成症候群という体質もを笑い飛ばしているようだ。

53 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/05(日) 23:27:20.82 ID:8jI/tcky0

(*゚∀゚)「でも思春期の男からしたらショックだったか。胸のある女が実はチンコ持ってた何て」

(;"ゞ)「余計な事言わないでください!」

 つーさんの不意打ちすぎる発言に、思わず吹き出しそうになった。
吹き出しそうになるのを堪えたせいで喉にご飯がかかり、咳き込んでしまった。
俯き、口を手元に抑えながらしぃさんとつーさんから顔を背けた。

 咳き込む自分の声と一緒につーさんの甲高い笑いが耳に入る。
恥辱と情けなさと、喉に突き刺さる苦しさに顔が熱くなる。
昨日からつーさんには、とことんいじられているような気がしてたまらなかった。

(;*゚ー゚)「つー! アンタは本当に……デルタ君大丈夫?」

 席を立ち、僕の隣りに来て背中を摩ってくれるしぃさんが視界の端に見えた。
喉の痛みも消え、荒れた息を整えながらしぃさんに頭を下げる。

(;"ゞ)「はい……すみませんでした」

 今時の中学生でも、女の子にチンコと言われてこんなに吹き出したりしないだろう。
けれど元々女性との関わりがそんなにない僕は、女の子がそんな卑猥な単語を出しただけでも狼狽えてしまう。

女の子に対して幻想を抱き過ぎと言われてしまえばそれまでだ。
だが、まさか朝から男性器を躊躇なく口にされるとは思わなかったのだ。

55 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/05(日) 23:29:35.17 ID:8jI/tcky0

(*゚∀゚)「お前本当面白い奴だな!」

 机に肘をつき、僕を見下げているつーさんは相変わらずニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべている。
そういえば、ちょうど先生もこんな感じの笑みをよくしていた。何かを企んでいるような、見ていて寒気を感じる笑み。

だけど先生と比べてつーさんのそれは、まだどこか幼さを感じる。
勿論、幼いから、大人だからなんだという訳ではない。
こんな風に笑われていい気がしないのは、どちらも同じだ。

(;"ゞ)「かっ、からかわないで下さい!」

(*゚∀゚)「だってお前反応面白いんだもん」

(;"ゞ)「そんな理由で……」

 言い返したいことは沢山あったが、何を言っても上手くかわされそうな気がした。
溜め息を吐いて自分を落ち着かせ、食事に戻る。

何も返さない僕につーさんは最初、何でだよと言って突っかかって来た。
けれどしぃさんに叱られたのをきっかけに、つーさんも大人しく朝食を食べ始めた。

58 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/05(日) 23:31:16.35 ID:8jI/tcky0

 無機質な食器が触れ合う音と、時折しぃさんとつーさんの話す声が聞こえる空間。
昨日までは僕としぃさんが慎ましく色々話しながらご飯を食べていた。
僕も、恐らくしぃさんも自分から色々話すようなタイプではない為、食事中何度か間が空いてしまうことがあった。

それが嫌だったというわけではない。
けれど会話が途切れてしまうのは何となく気分的に良い物ではない。
僕もしぃさんも、知らず知らずのうちに会話の綻びを見つけようと、些細な事まで話題にあげていた。

 身内であるつーさんとしぃさんに会話の途切れは見つからない。
ほんの少し垣間見えたとしても、すぐに二人のうちのどちらかが新しい話題を挙げて話している。

小説家志望、なんてモノをやっているせいもあって、周囲を観察するのは好きだった。
初対面から僕につっかかってきたつーさんの、無邪気な笑顔だったり、しぃさんの妹だけに見せる穏やかな表情だったり。
会話に加わることがなくても、二人の様子を見ているだけで胸がいっぱいになる。

それが楽しい場面を見ているなら尚更だ。

(*゚∀゚)「おい、何ぼけっとしてんだ。ほっぺにご飯粒ついてるぞ」

(;"ゞ)「え、ちょっとどっちに付いてますか?」

 ぼうっと二人を見ていたせいで、つーさんの言葉に慌てて頬に触れる。
朝から顔にご飯粒を付けているなんて、こんな惚けている姿を見られるのは恥ずかしい。
口元を押さえながらご飯粒を探していると、目の前のつーさんが顔を真っ赤にして笑いを堪えているのが見えた。

(*゚∀゚)「うっそだよー!ばぁあか!」

59 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/05(日) 23:32:30.69 ID:8jI/tcky0

 爆笑とはまさにこのことだろう。
つーさんは堪えきれずに、それまでの何倍もバカにしたように僕を笑った。

 そんなつーさんを、しぃさんは何も言わずにつーさんの頭を叩く。
予告なく後頭部を思い切り叩かれ、構える事も出来なかったつーさんの身体は前のめりになった。
次いで聞こえる机に額をぶつける音。その姿があまりにも滑稽で、思わず笑ってしまった。

笑うと言っても馬鹿にするようなそれではなく、ほんの少し吹き出してしまったものだ。
けれどつーさんにはそれが気に入らなかったらしく、顔を上げるなり僕の事を睨みつけて来た。

(#*゚∀゚)「何笑ってんだよ!」

(*゚ー゚)「食事中は静かに。また叩かれたい?」

 心無しかしぃさんの声色がいつもと違う気がした。
表情こそは普段通りの笑みを浮かべているが、明らかに目が笑っていない。

(;*゚∀゚)「うっ……わかったよ」

 つーさんに向けられたその笑みを見て、つーさんは渋々といった様子で大人しくなった。
 それでも暫く経てばまたつーさんにからかわれ、それを咎めるようにしぃさんがつーさんに無言の圧力を掛けていた。
騒がしいではあるけれど、嫌いではない。こんなに賑やかな朝は僕にとって初めて、どこか新鮮だった。

 人が一人増えただけで空間は変わるものなんだな。
僕はそんな事を思いながら、しぃさんが作ってくれた魚のみそ汁に口をつけた。

61 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/05(日) 23:33:22.78 ID:8jI/tcky0

 先にしぃさんがご飯を食べ終え流し台へと席を立った時、つーさんが僕の方に身を乗り出して話しかけて来た。

(*゚∀゚)「おい、飯食ったら出掛けるぞ」

( "ゞ)「出掛ける?」

 それまで僕をからかうような事ばかり言っていたため、いきなりこんな事を言われて僕は首を傾げた。
主語がないつーさんの、突然の話に付いて行けていない表情をする。
曖昧な反応の僕を見て、そうだ、と言いながらつーさんは話を続ける。

(*゚∀゚)「お前見た目インドア野郎だし、ここら辺の所あんまよく知らねぇだろ?
    どうせ暇だし、オレが面白い所に案内してやるよ。
    だから三秒以内に返事しろ。じゃないと強制な」

(;"ゞ)「え、あ、えっ?」

 捲し立てるように言われた事を理解するには暫く時間を要した。
全てを理解し終える頃には、つーさんは僕の前で三秒を経った事を知らせる手拍子を鳴らせた。

(*゚∀゚)「はい三秒経った。準備できたら外に来いよ。待ってるからな」

 僕の返事を聞かず、つーさんはそのまま居間から飛び出して行ってしまった。
遠く離れて行く足音を聞きながらまた溜め息を漏らす。
起きてまだ数時間も経っていないのに、溜め息ばかりしている気がした。

63 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/05(日) 23:34:22.19 ID:8jI/tcky0

 日も昇り、朝の日差しが天から降り注いでいる。
日中と違い、緩い日差しと涼しい風は過ごしやすかった。

 半ば強制的につーさんから誘いを受けた僕は、朝食を食べ終えるなり慌てて出掛ける準備をした。
というのもつーさんは既に準備万端な様子で、玄関で僕が来るのを待っていたからだ。

 しかし決して嫌々行く訳ではない。
丁度色々な場所に行ってみたいと思っていた真っ最中であり、つーさんの誘いは願ってもない事だからだ。

 強いて言うならば、僕がまだつーさんという人間に慣れていないという点が気にかかった。
つーさんみたいなタイプの人と積極的に会話をした事がないため、自分のペースが乱される。

現に昨晩からつーさんに流されている僕がはっきり言えた発言は、数える程度しかない。
顔を洗い、歯を磨き、着替えている最中も、ずっとそれだけが心配だった。

 着替えも終わり、つーさんが待っているであろう玄関へ向かうと、関口一番彼女はこう言った。

(*゚∀゚)「遅い」

(;"ゞ)「遅いって……まだ十分しか経ってないじゃないですか」

 つーさんに声を掛けられて食べ終わるまで大体三分。
そこから片付けをして二階へ上がり、準備をするのにおよそ七分。
多めに見積もってもそれほど時間は掛かっていないはずなのに、どこまでせっかちな人なんだろうか。

64 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/05(日) 23:35:11.87 ID:8jI/tcky0

(*゚∀゚)「何言ってんだ。時間は待ってくれないぞ。
     ほら、自転車貸してやるからさっさと行くぞ」

 僕が来る前に用意していたんだろう。二台の自転車が玄関を出てすぐ隣に止まっていた。
一つはつーさんのものらしく、使い古された赤い自転車が。
もう一つは大きさから言ってギコさんが使っていたと思われる、青い自転車があった。

 つーさんは僕に目もくれず、さっさと自分の自転車に乗って走り出した。
僕はと言えば、差し出された自転車のハンドルを握ったまま立っているだけ。
先へ行くつーさんに声を掛ける事も出来ずに、ただ黙っていた。

 つーさんの姿が小さくなりかけた頃だろうか。
ようやく僕が自転車に乗っていない事に気付いたつーさんは、道を引き返して僕のところにやってきた。

(*゚∀゚)「どうしたんだ? 早く行くぞ」

(;"ゞ)「は、はい」

65 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/05(日) 23:37:10.14 ID:8jI/tcky0

 こうも自転車に乗るのを渋っているのには訳がある。
何故なら僕は自転車に乗れないからだ。

 移動手段は電車か歩き。
両親も僕に自転車を乗るようにと買ってくれる事はなかったし、僕自身自転車が欲しいとは言わなかった。
大人になれば車に乗れば良い。そんな思いもあって、僕はこの歳になるまで自転車を乗る行為を自発的にしなかった。

 けれどまさか、こんな形で自転車に触れる日が来るとは予想外だ。
たった二つの車輪で動くなんて、僕には想像も出来ない事だった。
太陽に栄える黒いボディが格好良く見せる反面、恐ろしくも感じる。

(*゚∀゚)「お前、自転車乗れないのか?」

 それまでずっと自転車だけを見ていた僕は、そう言われて初めてつーさんの方を見た。
自転車にまたがり僕を見るその表情は、乗れないだろうという思惑から鼻で笑っている様。
乗れないのは事実だ。けれど、昨晩から何かとからかわれていた僕は、多少ながらも苛立を感じていた。

 つーさんの言葉に僕は何も返さず、黙って自転車にまたがった。
意地の悪い笑みを浮かべているつーさんを視界からなくすため、車輪の方に目を向ける。

 勢いからとはいえ、本当に乗れるのだろうか。
さまざまな体験談を聞く限り、自転車に乗れるようになる事は、早々容易い事ではない。
無論個人差はあるが、お世辞にも運動神経があまり良いとは言えない僕が最初から乗れるとは思えなかった。

68 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/05(日) 23:38:39.77 ID:8jI/tcky0

 ペダルに右足を掛け、踏む込む準備をする。
口内が乾き、心臓がうるさいくらいに鳴っている。
覚悟を決めた僕は、上体を前に乗り出しながら右足のペダルを思い切り踏み込んだ。

 けれど僕は左足のペダルの存在を忘れていた。
踏み込んだ勢いで左ペダルに足を掛けられず、ペダルはそのまま一周してしまった。
当然片足だけでバランスが保てる訳もなく、一メートルも漕がない内に自転車ごと倒れてしまった。

(*゚∀゚)「ヒャッハハハハ! なっさけねぇの!」

 つーさんの甲高い声が響く。
顔を見ていないから分からないけれど、きっと馬鹿にしたような笑みを浮かべているんだろう。

 自転車を起こし、次いで立ち上がった僕は服を簡単に払った。
その間、つーさんの方は一度も見ないで。

(*゚∀゚)「箱入り娘じゃなくて息子だな!
     今時自転車乗れない奴なんて、女くらいだろ!」

 せめて何か一言でも反発出来れば良いのだけれど、つーさんの言っている事は間違っていない。
顔が熱くなる。悔しさから何も言えなくなる。
自転車を支えたまま、下唇を噛み締めながら俯いて立っているのがやっとだった。

(*゚∀゚)「都会の人間は随分ひ弱なんだな。
    それともお前がひ弱なのか?
    自転車も乗れないなんて恥ずかしい奴だな!」

 悪口の一定限度を超えたのか、はたまたつーさんの言葉のどれかにそうさせる要素があったのか。
それまでハンドルを強く握っているだけだった僕は、何の前触れもなくつーさんの方を見て大声を出した。

71 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/05(日) 23:41:11.60 ID:8jI/tcky0

(;"ゞ)「オ……オレだってそ、その気になれば、乗れます!」

 一瞬、自分でも何を言っているのか分からなかった。
苛立と情けなさと、恥ずかしさが混ざってこんな事を言ったんだと思う。

 でも、それにしたって酷すぎる。
うわずった声に吃った言葉。何より自転車が乗れるか乗れないかでこんなに大声を張り上げる何て。
先程とは違う恥ずかしさが僕の中でいっぱいになりつつあった。

 つーさんの方も僕がこんな事を言うとは思わなかったんだろう。豆鉄砲を食らったような顔をしている。
けれどそれも最初だけだ。
すぐに先程のような笑いを含みながら、自転車のハンドルに頬杖をついて僕を見た。

(*゚∀゚)「どうだか」

(;"ゞ)「乗れま、ます。今はただ乗れないだけで、ちゃんと練習すればお、オ、オレだって」

 今度は少し落ち着いて話せた。
それでも声は震えているけれど、先程のような行き当たりばったりの発言よりはっきりと言えた気がする。

 確証も何もないにも関わらず言い切った理由の大半は勢いと言っても良い。
自分の事は自分が一番知っている。仮に乗れたとしても相当な時間が掛かるだろう。

 けれど、いつまでもつーさんに馬鹿にされているのも嫌だった。
普段からあまり感情に身を任せた発言をしない自分にとって勢いで発した思いに驚いてしまった。
男は常に冷静であれ。父さんからそう躾けられてた僕は、初めて父さんの意に反する事をした。

74 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/05(日) 23:44:17.45 ID:8jI/tcky0

 次第に怒りで充満していた頭の中が軽くなる。
落ち着いて考えてみれば、おかしいのは一人勝手に怒っている僕自身である事に気付いた。

 つーさんの目に僕はどう映っているんだろうか。
些細なからかいをしただけで、顔を真っ赤にして怒鳴る僕をきっと情けないと思っているんだろう。
自分の幼稚さにつーさんの顔がまともに見れなくなり、俯いた。

 ごめんなさいと呟いた言葉がつーさんに届いたどうかは分からない。
分からないけれど、僕の方へつーさんが近づいて来る足音が聞こえて来た。

 それでも僕は顔を上げずに俯いているだけだった。
そんな僕に対して、いつまでそうしてるんだと言う声が頭上から降り掛かって来た。
恐る恐る顔を上げる。そこには腕を組み、威圧感を放っているつーさんの姿があった。

もう一度つーさんに向かって謝ろうとした時だった。
口角を上げ、目を細め、しぃさんにも似た笑みをして、つーさんはこう言った。

(*゚∀゚)「お前、はっきり物言えるんじゃねぇか」

 組んでいた腕を解き、僕の頭を激しく撫でる。
髪の毛から伝わる触感は、男性が持つ掌の固さではなく女性の柔らかさだった。

75 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/05(日) 23:46:58.41 ID:8jI/tcky0

(*゚∀゚)「さっきからずっとおろおろばっかして、何も言えねぇちっせぇ男だと思ったけどよ
    なーんだ、ちゃんとチンコついてるだけはあるじゃないの」

(;"ゞ)「ちっ……!」

 再び言葉を詰まらせ、返す事もなく動揺している僕につーさんはまた声を上げて笑い出す。
僕の頭を二三軽く叩くと、悪ぃと言って僕に背を向けた。

 背を向けたつーさんは僕が乗るはずだった黒い自転車を、宿の玄関前に持って行きスタンドを立てる。
振り向き、僕を目が合うと流れるように自分の赤い自転車に視線を向けた。

(*゚∀゚)「仕方ねえからお姉さんが連れてってやるよ」

 僕を通り越し、赤い自転車に跨がったつーさんは後方を見やった。
後ろに乗れと言っているのだろう。僕は何も言わずに後方のリアキャリアに跨がろうとした。

(*゚∀゚)「間違っておっぱい掴むなよ」

(;"ゞ)「誰がそんな間違いするんですか!」

 先程からこんなことばかり言われているような気がする。
新しいおもちゃを見つけた子供のはしゃぎっぷりで僕はつーさんにいじられていた。

悪戯な発言に対するレパートリーはあまり持っていない。
ずっと似たような返答ばかりしているのはそのせいだった。

77 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/05(日) 23:49:09.52 ID:8jI/tcky0

(*゚∀゚)「たかがチンコぐらいでおろおろするチェリーボーイはどこの誰だよ!」

 僕がつーさんの肩に手をかけたと同時に、自転車が動く。
慌ててつーさんの肩を掴む手に力が入った。
けれど焦る僕なんかおかまいなしにつーさんは両足をペダルへと掛け、漕ぎ出した。

二人を乗せた一台の自転車は最初こそ不安定に右へ左へ蛇行運転をしていた。
だが自転車の速度が上がって行くにつれ、バランスを保って進んで行く。

自転車に乗っている間、つーさんは何も言わずにただペダルを漕いでいた。
背中しか見えない僕にはつーさんがどんな表情で走っているのか分からない。
それでも僕は、生き生きとした表情で目を輝かせながら走るつーさんの姿が真っ先に思い浮かんだ。

78 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/05(日) 23:51:03.41 ID:8jI/tcky0

 朝の空気から昼へと移り変わっていく空気に、夏の匂いを感じる。
湿気を含んだ空気が肌に触れ、そこから肌に張り付くような熱を残していく。

天を仰げばそこには一面の青と、白。
いつもより白の割合が多い空からは、雲の合間を縫って太陽が降り注いでいた。
雲の動きよりも早い自転車から見る風景は、とても穏やかなものだった。

 後ろに僕を乗せているにも関わらず、つーさんは更にスピードを上げて自転車を走らせている。
下り坂でも変わらぬその速度に、思わず悲鳴を上げてしまうほどだった。

それでも、感じたことのない身体から受ける風と、移り変わり行く景色に高揚感が沸き上がって来る。
自転車よりも早いスピードで走る電車と違う。直に伝わる視感と触感がそこにはあったのだ。

82 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/05(日) 23:52:49.68 ID:8jI/tcky0

 般若亭を出てからもう随分と時間が経った頃だろう。
気がつけば見たことのない景色が広がり、僕の視線もあちらこちらと目移りしていた。
先程までは民家を多く占めていた一帯から、自然を多く見られる場所へと変わっている。

人影もほぼない、人工物らしき陰も見えない、全くの自然地帯に入ろうとしていた。

 やがて自転車でも進めない場所へと着いた僕たちは、足を使って更に奥へと進むことになった。
先頭にはつーさん、僕はその後を着いて行く事になった。

 地面に盛り上がった木の根を跨ぎ、大きな岩を乗り越えていく。
つーさんの足取りは実に軽やかで、僕は遅れを取らないようにするだけで精一杯だった。

 暫く歩くと、開けた道に辿り着いた。
簡単だが人の手が掛かっていると思われるその道の先には、冷たい空気を肌で感じた。
風に乗って運ばれるその空気の元へ向かうと、そこには小さな湖があった。

 小石を踏む音を聞きながら、湖の近くに寄って覗いてみると、水面に僕の顔が映し出されている。
自然の中に在る湖の澄んでいる言えない水は、ほんの少し濁りを見せていた。
それでも、僕が今まで見て来た中では一等綺麗な湖だった。

 ここまで来た道には人の手が感じられたけれど、この湖周辺にはそんな雰囲気を感じない。
湖を囲むように存在する木々は天を目指して枝を生やし、地を這う草木はとどまる事を知らずに伸びていた。

85 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/05(日) 23:57:39.24 ID:8jI/tcky0

(*゚∀゚)「どうだ、すげーだろ。都会にはこんな景色滅多に見ないからな」

 つーさんの言葉を聞きながら、ここまで辿って来た道をもう一度思い出す。
先程まで通っていた道には確かに人が通ったらしき痕跡があった。

それも一度ではなく、何度か人が歩いて出来たものだ。
けれどその最終地点であるこの自然には、一切手を加えられた部分がなかった。

何故だろう。目的地に辿り着いたならばこの湖にも人の手が掛かっていてもおかしくないだろうに。
この場に似つかない事を思いながらもぼうっと水面に映る僕と目を合わせる。
そういえばこの湖にも何か生き物がいるのだろうか、時折水面下で動く影が見える。

 とにかく、頭の中でしか見た事の無い光景を目の当たりにして夢中になっていたせいもあるだろう。
僕は背後からやってくるつーさんの思惑に気付く事が出来なかった。
ようやく自分の真後ろに気配を感じた頃には、つーさんは僕の背中を思い切り押した後だった。

(;"ゞ)「……っ!」

 驚きの声を上げる事すらままならないスピードで僕は湖にダイブした。
落ちた場所から湖までの距離はさほどなく、また、湖自体も思っていた以上に深くはなかった。
それでもいきなり水の中に落とされてしまえば慌てる物で、僕はばたばたと湖の中で騒いでいた。

 その最中もつーさんはずっと声を上げて笑っていた。
思っていた以上に僕が簡単に湖に落ちただけじゃない。
簡単に足が着く深さであるにも関わらず一人溺れまいと躍起になっているからだ。

87 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/05(日) 23:58:46.76 ID:8jI/tcky0

 焦りも暫くも経てば落ち着きを取り戻し、後は遠くで聞こえる蝉の鳴き声とつーさんの笑い声だけが残っていた。
踞り、腹を抱えてひいひい笑い続けているつーさんに、僕は見上げながら大声を上げた。

(;"ゞ)「ひ、卑怯ですよ!」

(*゚∀゚)「アヒャヒャヒャ! 落ちた奴が悪いんだよ! ばーか!」

 僕に向かって指をさして笑うつーさんに何を言っても馬鹿にされるだけなんだろう。
反論する事を止め、僕は湖の中から出る事にした。

 つーさんがいる岩に両手を付き、腕に力を込めて自分の身体を持ち上げようとする。
けれど服全体が既に水を含んでいる事、深くないとはいえ胸より下の水位という事から中々思うように身体が浮かない。
更に岩と湖との距離が思っていた程近くなかったという事もあり、つーさんの隣まで登りきるのに時間がかかってしまった。

 岩の上に座った頃にはつーさんの笑い声も無くなり、再び自然の音だけが空間を支配し始めていた。
出来ればこの空間を堪能したい所ではあるが、全身ずぶ濡れでは落ち着かないし、何より寒い。

丁度僕らが座っている位置は木陰になっているせいもあるんだろう。
太陽が出ている日中にもかかわらず一人だけ冬直前の寒さを感じていた。

(;"ゞ)「あーあ……濡れ鼠状態じゃないですか」

(*゚∀゚)「涼しくてちょうどいいじゃねぇか」

(;"ゞ)「どこが!」

88 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/05(日) 23:59:53.81 ID:8jI/tcky0

 次いで、何か僕をからかう言葉が来るのかと身構えていたが、つーさんから次の言葉が返ってくる事は無かった。
からかわれてしまうのは嫌だけど、反応がないのはなんだか寂しい。
膝を抱えているつーさんの横顔を見ながら何か声を掛けようかと思ったけれど、話題が見当たらなかった。

 考えてみれば昨日からずっとつーさんから僕に話しかけていた。
朝の挨拶から今日の出掛ける事まで、僕からではなく全てつーさんが行動を起こしていた。

 つーさんは僕の事を知らない。
もしかするとしぃさんから話を聞いているかもしれないけれど、それでも僕という人間の細かい性格までは知らないだろう。
そんな何も知らない初対面の人に対してここまで馴れ馴れしく、けれど親身に接してくれたのは初めてだった。

 しぃさんやギコさんのそれは大人の対応というものがどこかにある。
そして僕自身も周りに大人の人が多かったせいもあって、同年代とより年上と話す方が気が楽だった。

 つーさんの接し方は大人でも何でも無い。
友達のように、あるいは近所の子どもとのやり取りのように僕に接していたのだ。

 出来る事なら僕もそういった態度でつーさんと言葉を交わしてみたい。
そうは思っても、今の僕が出来る精一杯の言葉は一つしかなかった。

( "ゞ)「何かあったんですか?」

 もしかすると気付かない振りをしていた方が良かったのかもしれない。
だけど、この湖の場所に来てからずっと遠くを見るような目をしているつーさんを見ていると、気になってしまう。
先程まであんなに笑い、隣にいる僕にちょっかいを出していたつーさんとは別人のように見えた。

91 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/06(月) 00:02:44.07 ID:Qstuz/tf0

 僕の声につーさんがこちらへ顔を向く。
その目は驚きを隠せないような目をしていた。
まるでさっきの、自転車に乗れずに叫んだ僕を見る目と似たような目だった。

(*゚∀゚)「お前、ただのインドア野郎じゃないんだな」

(;"ゞ)「インドア野郎って……」

 心配をする必要はあまりなかったのかもしれない。
少なくとも僕をからかう位の元気はあったみたいで、心無しか安心している自分がいた。

( "ゞ)「つーさんがここに来てずっと大人しくなっているのをみれば
    オレじゃなくても気付きますよ」

(*゚∀゚)「そんなに分かりやすかったか?」

 肯定の頷きをすると、そうかと呟いてつーさんはまた僕から視線を外した。
再び遠くを見るような目をするつーさんに、僕はこれ以上かける言葉が見当たらなかった。
そう思っていると、独り言をいうようにつーさんが唐突に口を開いた。

(*゚∀゚)「昔、幼なじみとよく遊んだ場所なんだ。ここ。
     オレが最初にここを見つけて、オレとそいつの二人だけの秘密の場所にしたんだ」

 その間もつーさんは僕を見ない。
まるでつーさんと、その幼馴染みとの思い出をフィルター越しに見ているように湖に視線を落とした。

93 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/06(月) 00:04:57.17 ID:Qstuz/tf0

(*゚∀゚)「そいつもお前みたいに、どうしようもない馬鹿でさ。
     よくオレに突き落とされてずぶ濡れになってたよ」

 思い出したように吹き出して笑うつーさん。
その幼馴染みの人とどれほどまでに仲が良いのかが手に取るように伝わって来る。
けれど、次に出て来た言葉と共につーさんが浮かべたのは寂しさを感じさせる表情だった。

(*゚∀゚)「でもよ、二年くらい前かな。海の向こうに行ったきり会ってないんだ。
     絶対お前と結婚する為になんとかしてやる、とか言ってな。
     百パーセント、問題なく成功するような手術をしてくれる医者を捜すとか言ってた気がする」

 溜め息を吐き、膝を抱える腕の力を強くする。
僕の視点からは胸が見えないせいもあるんだろう
つーさんの横顔はいつかの友情を思い返す男性にも見えるし、最も近しい異性を思い馳せる女性にも見えた。

(*゚∀゚)「別にこのままで良いって言ったのに全然聞かなくてよ。
     オレはこの身体で何一つ困った事はないのはあいつも知ってるはずなのにな」

( "ゞ)「……」

95 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/06(月) 00:06:26.59 ID:Qstuz/tf0

(*゚∀゚)「オレ以外にもこういう体質持っている奴はいたし、知ってんだ。
     単にオレが今でもその体質が抜けきれないだけで、他に何か問題があるなんて思ってないしな」

 そこまで言い切ると、もう一度僕の方を見る。
今度は寂しそうな表情はそこにない。
ネガティブも何もかも吹き飛ばしてしまうような笑みで、つーさんは僕に告げた。

(*゚∀゚)「サイコロを投げた、だったか? オレ、この言葉好きなんだ。
     一回投げられたらもう覚悟を決めて行くしかないんだろ?
     オレは勝手に決められたけど、もうこの体質で生まれたらそのまま突っ切って行きたいんだ」

 フサの思う気持ちも、わからないでもないけどな。
つーさんはそう言って、膝を抱えていた腕を解き、岩崖に足を放り出した。

 サイコロを投げた、つまり賽は投げられたという意味なんだろう。
つーさんが口にした言葉を胸の中で復唱する。
文の意味になぞらえるならば、僕のこの旅も似たようなものなんだろう。

 永夏島に来て、元の生活に戻った時に何が起きるかなんてまだ分からない。
そもそも永夏島に来た事が正しかったのか、間違っていたのか何て判断をつけることが出来ない。
僕にはつーさんのように、投げられた賽の結果を見る覚悟は持っていなかった。

97 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/06(月) 00:07:49.70 ID:Qstuz/tf0

 ぷらぷらと両足を前後に揺らすつーさんのつま先を見ていると、不意をつかれてつーさんに声を掛けられる。

(*゚∀゚)「お前もそうじゃねぇの?」

 まるで僕が考えていた事を見透かしていたような言葉に息が詰まったような気がした。

(*゚∀゚)「姉ちゃんから聞いたんだ。
    良く分かんねぇけど、デルタ君は迷いをどうにかしたくてここに来たって」

 恐らく昨日の夜、僕が風呂場で倒れているときに聞いたんだろう。
しかし、そこから先の事を言おうとして、つーさんは考えるように口を閉ざした。

話題に出したのは良いが何を言えば良いのか。
そんな顔をしながら眉間に皺を寄せているつーさんの顔が、何だかおかしくて、けれど嬉しくもあった。
からかわれてばかりで遊ばれているのかと思ったけれど、真剣になる時はちゃんと考えてくれるんだ。

99 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/06(月) 00:08:56.54 ID:Qstuz/tf0

(*゚∀゚)「えーっとな? オレは難しい事考えるの嫌いだから知らねぇけど
    やりたいなら気にしないでそれをやっていいんじゃねぇの?」

 絞り出すように出て来た言葉が僕の中に吸収されていく。
けれど、つーさんが言いたい事はしっかりと受け止める事が出来たのに、僕の中でその言葉が上手く消化されない。
頷きたくなるし、つーさんの言う事に同意したい。だが同意をしても胸のどこかがすっきりしない。

 返した言葉は、酷く曖昧なものだった。

( "ゞ)「そうですね……」

(*゚∀゚)「そう、って顔には見えないけどな」

( "ゞ)「……でも、つーさんの言う通りです」

 やりたいならあれこれ考えず、好きにやればいい。
少なくともいつかの僕は、心から好きで小説を書いていたはずだった。
しかし今は違う。小説家になるという惰性で筆を動かしていのだ。

 小説家になる。その夢は今も昔も変わらないのに、僕の中の何が変わってしまったのだろうか。
何に迷い、何に悩み、何と戦っているか。
その答えすらも今は見つからなかった。

101 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/06(月) 00:10:21.14 ID:Qstuz/tf0

 黙り続けている僕を見かねてつーさんの手が僕の髪を撫でる。
撫でる、といっても親が子どもにやるような手つきではない。
どちらかと言えばそう、年上の兄弟が下の兄弟を慰めるようにする撫で方だった。

(*゚∀゚)「ま、その内ぽんって出るんじゃね?」

( "ゞ)「そうですか……?」

(*゚∀゚)「そういうもんだろ。悩んでいる事程、かーんたんに解決しちまうもんだ」

 本当に、そうだろうか。
胸が苦しくなるくらい辛い、この苛立ちはそんな簡単に消えてしまう物だろうか。
遠く離れた永夏島へ来ても、頭のどこかで書けない自分に対して蔑む目で見ていた自身を許せる時が来るのだろうか。

 自分自身の掌に視線を落とし、空を握りしめる。
そこに感じるのは何もない。ただ自分の体温だけが掌から伝わった。

 どんなに好きでいても、掴めなければ何もない。
近くの木で鳴いているはずの蝉の声が、随分と遠くに聞こえた気がした。

105 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/06(月) 00:14:48.98 ID:Qstuz/tf0

 気分が落ちているのが自分でも分かる。
せっかくつーさんが連れてきてくれたのに、何を一人落ち込んでいるんだろう。
奮い立たせるように頭を振ろうとした時、僕の後頭部を撫でていたつーさんが勢い良く僕の頭を押した。

 押された勢いとともに身体が前のめりになる。
デジャブを感じながらも抵抗を始めた頃には既に僕の身体は再びずぶ濡れになっていた。

しかも今度は頭を押されて落ちたのだから先程よりダメージが大きい。
うっかり水を飲み込んでしまい、咳き込みながらつーさんに抗議する。

(;"ゞ)「急に何するんですか!」

(*゚∀゚)「うるせー。この分からず屋め。
    お前は考えすぎてんだよ。少しは頭冷やせ!」

 投げ出している足の爪先が僕の額に触れる。
そのままつーさんの足を掴んで引きずり下ろそうと思ったけれど、それをやってしまうと後が怖いので止めた。

 乱暴な手段ではあるが、つーさんも僕の事を励まそうとしているのを感じる。
最初に会った時にはしぃさんの妹であるかどうか疑ってしまう程のギャップを印象づけられた。
だが実際に話しを重ねて見ると、しぃさん特有の元気さ、優しさに加えて真っ直ぐな素直さを垣間見た。

 特異体質を持ちながらも尚、正面を見据えて前向きに考える事の出来る人。
今まで僕が出会った事の無いタイプの人間であるつーさんに、徐々に惹かれている事に気付いた。

もっと一緒にいて色々な事を知りたい、教わりたい。
知識欲とは違う好奇心が、僕の中に芽生え始めていた。

109 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/06(月) 00:17:57.27 ID:Qstuz/tf0

 帰り道、濡れた野郎を後ろに乗せるのは気持ち悪い、なんて言ってつーさんは僕を歩かせていた。
誰のせいで全身ずぶ濡れになってしまったのかと言っても、不注意な奴が悪いと言うだけ。
仕方なく元来た帰り道を二人肩を並べて歩いていた。

 時折ずぶ濡れの僕を見てぎょっとするような視線を向けられたりもした。
その度に僕は恥ずかしさを紛らわす為に顔を背けていた。
そんな僕を隣で自転車を押しながら歩いているつーさんが笑うのだ。

 太陽の下を歩いていたせいもあって髪はほとんど乾きかけている。
けれど水分をしっかり含んだ衣服と靴の中が乾く事はなかった。

 替えの靴の事を考えていると、唐突につーさんが僕を呼んだ。

( "ゞ)「何ですか」

(*゚∀゚)「明日から自転車乗る練習するぞ」

(;"ゞ)「……へ?」

 一瞬何を言っているのかが分からず、もう一度聞き返した。

(*゚∀゚)「れ・ん・しゅ・う。分かるだろ?」

(;"ゞ)「いや、練習は分かりますけど……」

 そういえばさっき練習をすれば乗れる、なんて事を言った気がする。
半ば勢いで口走った事を言った過去の自分に対して少しだけ後悔した。
まさかつーさんがあの言葉を本気と捉えているとは予想外だったからだ。

114 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/06(月) 00:30:36.82 ID:Qstuz/tf0

 僕が返答を渋っているのを見て、つーさんはそうかと納得をしたように言う。

(*゚∀゚)「練習すれば乗れるっつーのは嘘だった訳か」

 その言い方は予想通りと言いたげなもので、情けないと言いたげな視線を送られた気がした。
慌てて取り繕うように弁解の言葉を並べようと思った時だった。

(*゚∀゚)「折角このオレ様が、さっさと乗れるような手助けをしてやろうと思ったのにな。
    なーんだ、お前はその場しのぎの嘘をついたって事か」

 再びつーさんが馬鹿にしたような口調で僕を挑発してくる。
これは僕を怒らせる為の言葉だと割り切っていても、律儀に反応してしまうのが僕だ。
つーさんの方を見据え、はっきりとした声で宣言した。

( "ゞ)「そんな事、ないです」

(*゚∀゚)「本当かよ」

( "ゞ)「本当です。何なら今日からでも始めましょう、練習」

116 ◆AoH6mbCY.w 2010/12/06(月) 00:33:15.34 ID:Qstuz/tf0

とは言ったものの、いつ乗れるかなんて保証はどこにも無い。
そもそも運動自体苦手としている僕がそう早く自転車に乗れる何て考えられなかった。

 それでも逃げずに練習をしようと思ったのは、つーさんにこれ以上馬鹿にされたくなかったからだ。

(*゚∀゚)「よしよし。積極的な野郎は好きだぞ。
    それじゃあ早速昼飯食い終わったら練習開始だ」

 つーさんは満足そうに笑うと、自転車に飛び乗り、僕を置いて先に進むがごとくペダルを思い切り踏んだ。
早く来いよ、なんて言うつーさんの背中を見ながら僕は慌てて追いかける。
水気を含んだ靴の音が聞こえる。少しずつ乾いてきているとはいえ水の臭いが身体に染み付いている。

 けれど嫌いじゃない。これから感じられなかった事を体全体で受け止める事が出来るなら構わない。
先の事を今考えていても分からない。振られた賽の結果なんて止まらなければ分からない。
ならば、せめて少しでも良い方向へ向けて誘導する事くらいは出来るのではないだろうか。

 どこまでも前へと進み続ける、つーさんの背中を見ながら、僕は一人そんな事を思ったのだった。






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